東日本大震災から13年 | |
東京のわが家でも大揺れでした。立って居れず、庭の真ん中にしゃがみ込み揺れの収まるのを待ちました。電線も大きく波打ち、金魚を入れた庭の甕の水面が揺れて溢れ出し未経験の怖さでした。震源地が東北で、津波も発生していると分かったのはその後まもなく。 仙台に赴任していた息子(三男)は、その日家族を仙台に残し、自分は車を運転し女川原子力発電所に出張していたのです。本人から家族にも会社にも連絡がつかなかった2日間、行方不明で生命さえ不安視されました。徒歩とヒッチハイクを続けやっと帰宅したとの報を受けて皆安堵しました。もし仕事が早く終わって30分前に訪問先を出ていたなら、女川の街で車ごと流されていただろうとの話に背筋の凍る思いでした。こんな事もあったため、被災地への思いは人一倍です。(2024-3-11載) |