小論スポーツ編-02

2000年10月

メダルより自巳ベスト

オリンビック出場選手の間で「楽しむ」が流行語になリ始めた頃から、自己記録を更新で きなければ、スボーツ選手は心の底から「楽しむ」心境にはなれないだろうと考えていたので、「シドニーの風/白己ベストたたえる英」(朝日新聞2000年9月10日朝刊)に配された英国の「自己ベスト奨励賞や育成地域の表彰制度」の存在を知り、さすがスポーツ先進国は違うものだ、と感心させられた。
アトランタの時よリ獲得メダル数が増えたので余り目立たないが、今同も本書に合わせるコンディショニングに失敗して、悔し涙にくれる姿を多く見た。
国内予選とオリンピック本番の両方にピークを作るのは、多分神業に近いのだろう。国の代表に選ばれること自体大変な栄誉だから、その後ふっと気が抜けるのも無理はない。
そこから数ヶ月後、もう一度「心・技・体」を最良に仕上げる困難さを毎回味わっているのに、未だにこれという解決策はないようだ(水泳の田中・萩原選手や陸上選手など)。
今まで多くの日本人選手は、国内予選に全精力を使い果たし、本番ではその回複困難さと重圧から、満足な成績を収められなかった。水泳の千葉すず選手が問い掛けたのは、一つは水連の選考規準の曖昧さであり、もう一つ大事なのに大方のスポーツ・メディアが怠慢にも見逃した点は、いかに本番にリズムを合わせるか、ということだった。
中学時代から短距離自由型の第一人者として持てはやされ、十六才で代表の座を射止めたものの本番では実力を出しきれなかったがゆえに惨敗し、手のヒラ返すようなオトナたちのバッシングにさらされたバルセロナの失敗から、彼女は今回、予選では準ピークに留め(たまたま風邪を引いていたにせよ)、本番にピークに持っていくつもりで臨んだのに、水連の”石頭”どもは、それを不真面目として切って捨てた。
彼女なりの調整法の一つの実験は、これから活躍するであろう後輩たちの大きな財産になるはずだったから、本当にもったいないことをした。水連幹部やマスメディアは、被女のチャレンジの意味を半分しか理解しなかったことになる。
そんなことには全く無関心な文部省は今頃になって、メダル獲得率向上を目指して「スポーツ振興基本計画」を発表し、スポーツ文化を官僚の手元に置こうとする。基本的には、民間主導がよいし、自治体や国は、空間(場の提供)と資金(人材育成)で後方支援に徹するのが筋だろう。メダル獲得は、長期的にはスボーツの裾野を広げることであリ、短期的には、自己新記録に向けて本番にベストコンディションに仕上げるためのフィジカル・ メンタル両面の手法の模索と奨励が、それへの近道である。
それぞれの選手が、大舞台の本番で自分の最高のプレーを見せることができれば、本望だろう。その結果としてメダルに届けば幸いだし、入賞や予選通過ならそれで十分だ。全力を出し切ってこその達成感であり、本当の「楽しむ」とは、そういうことだと思う。
2000年10月
【小論スポーツ編−02】