小論スポーツ編-01

1996年7月
戦後幕内力士の
平均体重と身長の変化
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大相撲近代化の落し穴

大相撲力士の大型化と、決まり手の減少・定番化が言われて久しい。確かに、高度成長期 までは、箒内力士にはそれぞれ持ち技があり、相摸のスタイルと人生が重なって、一つの 物語を読む楽しみを、ボクらに与えてくれた。それが最近では、巨湊力士による、寄リ切 り、押し出し、上手投げばかりが目につき、味わいがなくなった、と。しかし、冷静に娠 り返ってみれば、ごく自然な成り行きと言える。
戦後、大相撲の近代化にいくつかのエポックメーキングな出来事があった。四本柱がなく なリ、年間四場所が六楊所に増え、部屋別総当たり制、月給制や親方の定年制などが導入 され、伝統を守りつつ、次第に経営戦略として大衆化の道をたどってきた。年間六場所に なったのは、確か 1957年か 58年頃。当時、賛否両論あったと記憶してるが、想像以上 にこの影響が大きい。
というのは、それまで丸々二ヶ月あった本場所間隔(前後一週間は移動、準備や始末に費 やされるので除く)が一ヶ月になったから、全治一ヶ月程度の故障まで許容範囲だったのに 精々一、二週間の怪我の治療しかできなくなった(プロスポーツの現役復帰には、体力や 勘の同復に全治の二倍くらい要するらしい)。救済措置として、次場所に限って許される 公傷制度はあっても、土稜に上ってなんぼの相撲取に、全休のデメリットは大きい。勢い 完治しないまま場所を勤めるから、故障を抱えた力士の陥落は速い。怪我のチャンスは増 えたのに、回復の条件は厳しくなった。つまリ、関取であり続けるには、大怪我できない 過密スケジュールになったのだ。
その上、月給制に変り、所得の番付依存度が高まった。ビッグチャンスを求め、取的時代 に苦しい修業に明け暮れるのだから、関取になった以上、なるべく故障せずより長く勤め たいのは人情。角界の近代化は、一般社会との同質化であり、多少羽目を外すぐらいの掘 る舞いもメディアが許さない風潮では、サラリーマン化や安定志向は止むをえない(二子 山部屋の所得申告漏れ問題も同じ文脈にある)。必然的に、なるべく安全かつ無難な取り 口である寄りや押しに傾斜する。あとは、上手か下手の投げ技くらいで、折重なって倒れ る危険性の高い掛け技や打っちゃりなどは、どうしても敬遠されてしまう。そこで皆が、 物理法則に従って、立会いの当りや寄りの圧力を増す重量化に靡いてくる。
もちろん大型化は、肥満体質の子弟が入門しがちな現実と、生活環境、特に食生活の多様 化にもよろう。図表は、戦後幕内力士の平均体重と身長の変化を示す。56年の経済白書 には「もはや戦後ではない」、58年にインスタントラーメンの出現。70年代からは、 ファーストフード、ファミリーレストラン、コンビニなど日本中で、時・空間的に無制約 食文化が広まり、若者の体位を向上させたが、力士のカーブは、はるかにそれを上回る。 経済成長と共に大型化は顕著になるが、オイルショックにも、バブル崩壊にも全く影響を 受けてないから、経済因子より内的モチベーションの強いことを、裏付けている。
さらに60年頃は、決して大柄ではなかった「技」の栃・若から、大型で寄りや突き押し の柏・鵬時代への転換期に当り、両雄の活躍、特に優勝三十二回、横綱在位十年にも及ぶ 大鵬の安定性を見せ付けられた親方たちは、小兵の業師よリ大型力士を育てる方が、より 早く実り多いことに、気付くかされる。因みに、長嶋の「GIANTS」入団は58年、巨人・ 大鵬・卵焼きが「定番」として揶揄されたのが、63年である.
対照的に、小さな大横綱といわれた千代の富士の成功は、大型化の中の特筆すべき例外だ。 体重差を克服するには、スピード、切れ味、うまさに加えて、闘争心と集中力の五拍子揃 わなければならないから、第二の千代の富士の育成は、かなり難しい。
つまり、①本場所問隔の短縮が、力土の生き残り本能を目覚めさせ、②経済成長と生活保 守化、③親方の実利的な指導方針、などが相俟って、安寧に故障なく場所を勤める姿勢、 つまり、大型化と技の定番化に拍車をかけたのだ。「無事これ名馬なり」である。 だからといって、「昔は良かった、六場所は悪」などと決め付けるつもりはない。一部の タニマチや企業の招待客だけでなく、広く日本中の相撲ファンに(それにしては西方に片 寄り過ぎてるが)本場所の醍醐味を提供しようとする相撲協会のサービス精神=大衆化は 時代の要請だった。
一方、これは協会の利潤追求、商業主義と裏腹である。興業を増やし、力士と協会による 観客動員の努力が報われ、税金や補助金に頼らぬ自助努力の結果、立派な自前の新国技館 は誕生した。しかし、あの巨大な「緑の館」がテレビに映る度に、七十もの決り手が、大 屋根に囲い込まれてみえる。近代化は均質化にも通じ、デメリットは避けられない。 大衆化と引き替に、ボクらは華麗な技の競演から遠ざけられた、と言える。
大相撲の風情や季節感、力士の生理を大切にするなら、四場所が理想だが、運営上六場所 を減らせなければ、大型化は避けられない。しかし、過度の重量化は、腰や膝に慢性疾患 をもたらすので、健康管理やトレーニングにスボーツ医学を導入し、どのスタイルがその 力士に相応しいか、もっと科学的に個人の適性を見極めるべきだ。
巨漢力士が増えても「技」が豊かであり続けるように、協会とファンやジャーナリズム も知恵を出し合う必要がある。例えば、
①技能賞を「相撲名人」と改称して、準優勝扱いする。本場所中、妙技にボーナス懸賞を 付けたり、日毎のファインプレー賞を選んで金一封を出すなど、業師を徹底的に優遇し、 「相撲名人」を育てた師匠と部屋にも、「名伯楽」としての栄誉を与え、厚遇する。
②大相撲の活性化に、仮称「豪傑」という新たな地位を提唱する。本来、番付は大関が最 高位であり、その中から特に品位・品格の秀でた神様みたいな若者だけが、横鋼に推挙さ れる。そうすると、どうしても役力士は品行方正になりがちで、両国劇場は面白味に欠け てくる。そこで、横綱と同等か、それ以上強いのに品位の伴わない、例えば江戸期の雷電 為右衛門のような迫力を持った力士を「品格無き名大関=豪傑」として、横綱待遇で積極 的に応援し、大いに自由な振舞いを許して多様なキャラクターの輩出を促したらどうか。
1996年7月
【小論スポーツ編−01】