小論-03

「決められない政治」批判
キャンペーンに異議あり
2012年6月16日

「決められない政治」批判キャンペーンに異議あり

消費税法案に「政治生命」をかけると公言した野田総理は、なり振り構わず野党第一党の自民党に擦り寄っています。3年前の総選挙で掲げた公約を捨て去り、自民党案を丸呑みしてでも法案成立に走りそうです。大手メディアの「決められない政治」批判キャンペーンに踊らされたからです。あれほど国民が期待した政権交代を果たしても相変わらず「重要政策」が整わない焦りから、メディア側は学者・評論家を動員して、政治のリーダーシップ発揮や民・自協調を煽っています。 例えば朝日新聞、①4月24日付「カオスの深淵」では、故小渕総理の連立手法を暗示、 ②5月15日付夕刊「時事小言」の藤原先生は、超党派による合意形成を促し、③6月10日付「座標軸」の若宮主筆は両党党首会談を勧め、 ④6月5日付「耕論」中北教授に至っては、決められないもどかしさが高じてか総選挙のマニフェスト手法がいけないと、暴論を述べる始末です。
だがちょっと待って下さい。政策が決まらないのは政治システムや指導力の所為ではなく、政策そのものが適切でないから、という視点が欠落していませんか。重要政策の一つ「消費税の増税」は、今やるタイミングでない事を国民は分かっています。デフレで収まらず人々の給与が減少しているのに、増税など問題外ですから。人々が本当に望む政策であれば、既存の政治体制でも十分機能します。それを政権指導者たちや大手メディアは(意図的に?)取り違えています。
もしも今、民主党と自民党が連立するとなれば、自民党は長年の原発推進政策を、民主党は福島原発事故対応の失敗を隠蔽する絶好のチャンスとなり、「原発隠し」の野合になります。さらに増税策は、財務省(=霞が関)と財界、一部学者の長年の願望であり、政界/官界/財界/学会にマスメディアも加わった一大権益ムラが」出現します。大手メディアは「原子村」を批判しましたが、各省庁の記者クラブに依存している彼らも「霞が関」ムラの一員なのです。
前述の藤原先生は、政権交代しても与野党の政策が入れ替わるだけだから、与野党協調が望ましいと述べています。しかし政策が似通う原因を特定しないと、根本的解決にはなりません。それは、どの政党も政権に就くと結局「霞が関」の利権構造に取り込まれるからです。それ故如何なる政党をも飲み込む権益の本丸にメスを入れなければ何も始まらないのに、ムラ組織に嵌った学者・評論家・メディアの何も逃げています。
多くの国民は、その「霞ヶ関」全般に関わる行/財政改革=スリム化を望んでいます。ハシモト氏への人気がそれを裏付けています。増税はその先の話でしょう。朝日新聞がそこに切り込めるか、それが出来なければ小沢一郎氏の政治手法を批判する資格はありませんし、「ジャーナリスト宣言」を撤回すべきでしょう。
追記:野田総理は「霞が関」の意向に沿い、増税だけでなく原発再稼働も決行するらしい。メディア・キャンペーンに唆され、政策の中身より「決める」という作業に意地を張るように。
2012年6月16日
付記 
大手マスコミによる「決められない政治」排除キャンペーンほど罪深いものはない。以前「朝日」は、民主主義は手間暇かかる制度であり、多様な意見の尊重を掲げていた。衆参の捩れ、公約違反がないよう選挙の洗礼を受け続ける、こうした面倒な手続きの重要性を忘れ、国民には逆進性の消費税増税を推奨しながら自らは軽減税率で逃れる卑怯者を演じて政治不信を倍増し、二大政党の一翼を担えるよう民主党を育てる機会も逸して、一強独裁政権を促した。
2017年1月15日
【小論−03】