2020 憂鬱な4月 |
4月20日の筍ご飯 |
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1945年(終戦の年)の今日、私の姉が疎開先・三重県の銅鉱山の病院で亡くなった。勤労動員の過労で身体を壊し、東京大空襲の前夜にやっとのことで東京を脱出、その地に辿り着いたのであった。何も物のない戦時下、姉は母に「少しでいいから筍ご飯を食べてみたい」と夢を漏らしたという。母はあちこちに頭を下げやっとのことでそれらしき物を作り小さな弁当箱に容れ持参すると、姉はもう息を引き取っていたという。以来母は存命中、この日になると必ず筍ご飯を作り仏前に捧げた。このスケッチは約30年前同地を訪ねた際、廃墟を描き留めたもの。(2020-4-20載)
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